2014年07月06日

ダヴィッド・ロスチャイルド

ダヴィド・レネ・ジェームス・ド・ロスチルド
仏: Le baron David René James de Rothschild

ダヴィド・ド・ロスチルド

フランスの銀行家、貴族。
パリ・ロチルド家(英語読みでロスチャイルド家)嫡流の第5代当主。

生誕 1942年12月15日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国・ニューヨーク州・ニューヨーク
国籍 フランス
民族 ユダヤ系フランス人
出身校 パリ政治学院
職業 銀行家
肩書き 男爵
子供 下記参照
親 ギー・ド・ロスチルド男爵(父)


1942年: パリ・ロチルド家の嫡流ギー・ド・ロチルド男爵とその先妻アリックスの間の長男としてアメリカ・ニューヨークに生まれる。当時故国フランスは北部がドイツ軍、南部がヴィシー政府の統治下に置かれ、反ユダヤ主義政策が執行されていたため、ロチルド家はアメリカに亡命中だった。父母は反ユダヤ主義に対する挑戦的な意味から息子にヘブライ人の名前ダヴィド(デイビッド)の名を与えた。

戦時中、父ギーは自由フランス軍に従軍してイギリスに渡ったが、赤子のダヴィドは母アリックスとともにニューヨークに滞在し続けた。

1945年: パリ解放後の母に連れられてパリへ帰国した。

1956年: 父ギーは母と離婚してマリー・エレーヌと再婚、1957年には異母弟エドゥアール(フランス語版)が生まれた。しかしギーが過ごしてきたパリとルーの邸宅はダヴィドとアリックスに与えられている

1966年
: パリ政治学院を卒業。ジョルジュ・ポンピドゥーが大統領をしていた時期には、ポーランド出身の反ロスチャイルド思想の者によって邸宅を占拠され、人質にされる事件に遭ったが、父ギーが2億フランの身代金をかき集めて現場に乗り込んで犯人と交渉に当たり、息子の解放にこぎつけた。代わりにギーが人質となったが、彼は犯人をうまく外へ誘導し、フランス警察が犯人を御用にした。

1974年: オリンピア・アルドブランディーニと結婚(32歳)

1981年: 社会党党首フランソワ・ミッテランが大統領に当選。ミッテランは国有化政策を推し進め、ロチルド銀行も国有化されて「ヨーロッパ銀行」と改名された。しかしミッテランの一連の社会主義政策はフランス国家の経済力を大幅に越える膨大な支出を要したため、インフレと貿易赤字、フラン暴落をもたらした。「ヨーロッパ銀行」も急速に財政悪化した。「ロチルド」の名前の信用を失ったことで顧客がどんどん離れたのである。

1984年: 結局ミッテランはわずか2年にして路線修正を迫られ、自由主義路線に復帰した。これを受けてギーとダヴィドはパリ・オルレアン銀行を作り直し、その頭取にはダヴィドが就任した。ロチルドの名前で再建したかったが、ミッテラン政権に禁止されたのでこの名前になったという。

1986年: 議会総選挙で社会党が敗れ、シラクの保守内閣が発足すると国有化された財産の一部がロチルド家に返還され、また銀行にロチルドの名前を復活させることも認められ、パリ・オルレアン銀行を「ロチルド会社銀行(Rothschild &companie banque)」と改名した。同銀行はダヴィドとその補佐役の異母弟エドゥアールの指導の下、再び成功を収めた。

2003年: ロンドン・ロスチャイルド家のN・M・ロスチャイルド&サンズとの連携を深め、両銀行を統合したロスチャイルド・コンティニュエーション・ホールディングスを創設し、ダヴィドがその頭取に就任した。ロスチャイルド・コンティニュエーション・ホールディングスはN・M・ロスチャイルド&サンズを傘下に治めることになる。

2013年: 世界ユダヤ人会議の理事長に選出されている。


1974年にオリンピア・アルドブランディーニと結婚し、彼女との間に以下の3子を儲ける。

第1子(長女)ラヴィニア・アン・アリックス(1976-)
第2子(次女)ステファニー・アン=マリー(1977-)
第3子(長男)アレクサンドル・ギー・フランセスコ(1980-)

ダヴィド・ド・ロチルド




posted by miko at 20:25| Comment(0) | ロスチャイルド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジェイコブ・ロスチャイルド

ナサニエル・チャールズ・ジェイコブ・ロスチャイルド
Nathaniel Charles Jacob Rothschild, 4th Baron Rothschild
ジェイコブ・ロスチャイルド


第4代ロスチャイルド男爵
ロンドン・ロスチャイルド家の現当主(6代目)

生年月日: 1936年4月29日(78歳)
出身校: オックスフォード大学クライスト・チャーチ
所属政党: 中立派(1990年3月20日 - 1999年11月11日)
称号: 第4代ロスチャイルド男爵、メリット勲章(OM)、大英帝国勲章ナイト・グランド・クロス(GBE)、イギリス学士院、フェロー(FBA)
親族: 第3代ロスチャイルド男爵ヴィクター(父)
配偶者: セレナ
職業: RITキャピタルパートナーズ オーナー (ロスチャイルド・インヴェストメント・トラスト)、N・M・ロスチャイルド&サンズ オーナー、イスラエル・オープン大学総長代理
【個人総資産】
推定 2兆2200億ポンド(約390兆円)

嫡流にあたるが、分家のエヴェリンが経営権を握るN・M・ロスチャイルド&サンズから独立し、RIT・キャピタル・パートナーズ(資産約4200億円)を創設して独自の金融業を行っている。1990年にロスチャイルド男爵の爵位を継承し、1999年まで貴族院議員を務めた。現在のロスチャイルド家を代表する人物の一人。

1936年4月29日、第3代ロスチャイルド男爵ヴィクター・ロスチャイルド( Victor Rothschild)とその先妻バーバラ・ジューディス(Barbara Judith)の第2子(長男)として生まれる。
ヴィクター・ロスチャイルドはバーバラとの間に3子再婚したテレサとの間に4子もうけている。

イートン・カレッジを経てオックスフォード大学クライスト・チャーチを卒業する。これまでロスチャイルド家はハーロー校を経てケンブリッジ大学へ進学するのが伝統だったので異例のことであった。

1961年: セレナ・ドンと結婚。(25歳)

1963年
: 銀行N・M・ロスチャイルド&サンズに共同経営者として勤務する。(27歳)
N・M・ロスチャイルド&サンズ内では投資部門「RIT」を主導。積極的なM&Aを好む。彼の主導でN・M・ロスチャイルド&サンズには外部からの資金が大量に流れ込むようになり、それを元手に積極的な企業買収が行われた。その買収の一つがグランド・メトロポリタンだった。当時イギリス史上最大のお金が動いたといわれている。ジェイコブの企業買収でN・M・ロスチャイルド&サンズの業績は急速に伸びた。
N・M・ロスチャイルド&サンズの経営権は株式の60%を持つ分家のエヴェリンが握っており、ジェイコブの父である第3代ロスチャイルド男爵ヴィクターは20%の株しか持っていなかったから、やがてジェイコブの大胆なM&A路線は堅実経営を好むエヴェリンから独断にすぎると批判されるようになり、N・M・ロスチャイルド&サンズの内部対立は深刻化。

1980年: 投資部門「RIT」を率いてN・M・ロスチャイルド&サンズから独立。RITはジェイコブの方針のもと積極的な投資・企業買収を推進する。独立から4年にして資本金を4倍にした。(44歳)

1983年: ニューヨーク・マーチャント銀行の株50%を買い、さらにチャーターハウス銀行と合併し「チャーターハウス・J・ロスチャイルド銀行」を創設。(47歳)

この直後からこれまで買収した企業の株を次々と売却して現金にして貯め込むようになった。ちょうど1987年にアメリカのウォール街が暴落し、1990年からはイギリスでもサッチャー政権の金融緩和によって発生していたバブルが弾けたので、これは見事なタイミングでの撤退となった。

1985年にRITはダイアナ妃の父であるスペンサー卿からスペンサー・ハウス(英語版)を96年契約で賃借し、2000万ポンドの巨費を投じてその内装を18世紀の状態に復元した。この修復作業はダイアナ妃からも高く評価された。(49歳)

1971年〜1996年: セント・ジェームス・プレイスの社長を務める。

1990年: 父ヴィクターが死去し、第4代ロスチャイルド男爵位を継承する。同時に貴族院議員に列し、貴族院改革のあった1999年11月11日まで在職している。しかし政党には所属せず、中立派(英語版)の議員として行動。(54歳)

1993年: 投資管理会社RITキャピタル・パートナーズと投資会社セント・ジェイムズ・プレイス・キャピタルを創設。(57歳)

1994年: は投資会社ロスチャイルド・アセット・マネジメントを創設してバイオ産業に投資。(58歳)

2002年: メリット勲章の叙勲。(66歳)

2003年〜2008年: BスカイBの副社長を務める。同じく2008年までRHJインターナショナルの取締役を務める。(67歳〜72歳)

2010年: ジェニー・エナジー(2013年にゴラン高原南部に石油採掘権を獲得)の株5%分を1000万ドルで購入。(74歳)

コーンウォール公領の統治を行う公爵(チャールズ皇太子)諮問会議の議員も務めている。



1961年にセレナ・ドンと結婚。彼女はカナダの投資家サー・ジェームズ・ハメット・ドン准男爵の娘であった。 彼女との間に以下の4子を設けている。


第1子(長女)ハンナ閣下(Hon. Hannah)(1962年-):ウィリアム・ロード・ブロックフィールド(William Lord Brookfield)と結婚。
第2子(次女)ベス・マチルダ閣下(Hon. Beth Matilda)(1964年-):アントニオ・トマシニー(Antonio Tomassini)と結婚。
第3子(三女)エミリー・マグダ閣下(Hon. Emily Magd)(1967年-):ユリアン・デーヴィッド・ヴァーレン・フリーマン=アトウッド(Julian David Warren Freeman-Attwood)と結婚
第4子(長男):ナサニエル・フィリップ・ヴィクター・ジェームズ閣下(1971年-):ロスチャイルド男爵位の法定推定相続人

ジェイコブとナット

ジェイコブとナット

posted by miko at 17:18| Comment(0) | ロスチャイルド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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